幼いころに家族と行った渓流を思い出す。
秩父の山奥に家族でドライブにきて、渓流を眺めている。
この水はどこから流れてきてどこへ行くのだろう?
このブログを御覧いただきありがとうございます。
あなたと出会うために起きた奇跡、すべてに感謝いたします。
まりんです。
わたしは、あることがきっかけで金運に目覚めました。
それまでは金運どころか、ジャンケンにも負け続けるような運に見放された存在でした。
それが、いまでは金運を研究しているから自分でも不思議です。
人生哲学・宗教観・政治信条
ちょっと堅苦しいですが、自己紹介の最初として、わたしの人生哲学・宗教観・政治信条をお話させてください。
以前、メルマガの読者様からこんな内容のメールをいただきました。
あなたは、このブログでなにか宗教を始めるおつもりですか?
それとも政治的な活動をされているのでしょうか?
『いえいえとんでもない!』
『そんな大それた野望はもっていません!』
メールを読んだ時、思わず口にでてしまいました。
このブログやメルマガは、わたしが集めた金運に関する情報をまとめたいわば忘備録です。
正直なところわたしは、のほほんと生きてきたので宗教も政治も深い興味はありませんでした。
本来なら、パーソナルな部分ですし興味がないかもしれませんが、誤解のないように最初にお伝えしたいのです。
まりんの人生哲学
わたしは運命は信じません。
金運ブログをやっていてどうして?と思われるかもしれませんね。
これには、理由があります。
わたしは運命より奇跡を信じています。
生まれたてから、死ぬまですべて運命としてあらかじめ決まっていたら、人間はそのとおりに生きて死んで行くだけの存在になってしまうんじゃないかと考えます。
運命に抗えないのなら、逆に生きる上で悩む必要はないと思うからです。
奇跡を信じてそれをチャンスとしてとらえ、自分を高める。
という考えのほうが、わたしには合っています。
この世に生まれて生きているだけでも奇跡。
さらに、地球があって太陽と月が絶妙の位置にあって、四季があって、自然がある。
人類が誕生して、進化して、インターネットで世界中の人と交流できる。
こうしてブログを通じて、あなたに、わたしの思いをつたえることができる。
あなたも、わたしも、奇跡の存在どうしがこうして会話をしている。
そもそも、宇宙の誕生そのものが奇跡なんじゃないかな、と思います。
そして金運とは、あらかじめ決まっているものではなくて、奇跡の積み重ねなんだと思うようになりました。
もちろん運命を信じている人を非難したり、馬鹿にしたりはしていません。
何を信じるのも自由ですし、信じるものがある人は幸せだと心から思っています。
まりんの宗教観
わたしは、神社やお寺が好きです。
旅行先でも時間があれば、近くの神社仏閣を探して行ってみます。
御朱印も時々しています。
神社に一歩踏み入れたときの、凛とした空気感と緊張感が好きです。
それでいて、リラックスができるんですよね。
でも、、、
乱暴な言い方ですが、わたしは『神も仏もあったもんじゃない!』と思っています。
全知全能の神様がこの世を創ったのなら、もう少し上手につくれたと思うのです。
仏様が見守ってくださるのなら、だれも不幸な目にあわないはず、と思うのです。
この世は理不尽な出来事ばかりです。
嫌な出来事を目にするたびに『神も仏もあるもんか』と思ってしまいます。
わたしが信じるのは人です。
人の心を信じたいです。
理不尽な世のなかをつくっているのは人かもしれませんが、そこから救ってくれるのも人。
いい人、悪い人、だます人、嫉妬深い人、ほがらかな人、シャイな人、セクシーな人、絡みづらい人、可愛い人、タイミングがわるい人、
どんな人でも、わたしに関わるすべての人を信じたいです。
そして、感謝をしたいです。
はるか昔の日本人が八百万の神々を信じて感謝をささげたように。
これが、わたしの宗教観です。
でも、ほんとうにつらいときは『神様、仏様、お願いします』と心のなかでつぶやきます。
まりんの政治信条
特定の政党を支持していません。
いわゆる無党派層ですね。
保守とかリベラルとかよくわかりません。
ただ、わたしを含めて、いまこの国に住んでいる人たちが、平穏に暮らせる社会であればいいと思っています。
選挙権を得てから、仕事もあってしばらくは投票にいっていませんでした。
あるとき、ある自治体の選挙管理委員会の手伝いをすることがありました。
そもそもの選挙の意義とか、投票率がどんどん下がることの悪影響を知りました。
いまでは、選挙は今の世代のひとのためだけでなく、次の世代のひとたちの社会を決めるものだという思いで、なるべく投票するようにしています。
わたしのブログやメルマガでは、どこかの政党にかたよった情報は流しません。
幼いころ(1985年〜1095年)
右と左を間違える。
金と銀の区別がつかない。
運動会でゴール手前まで1位だったが、なぜかゴール手前で立ち止まり次々に追い越されてビリでゴール。
くつひもがうまく結べない。
空想するのが好き。
なぜかプラモデルにはまる。
1週間に一個のペースでプラモデルをつくっていました。
いまでも実家にいくと、名前も知らないスポーツカーのプラモデルがかざってあります。
小学校、中学校時代はこれといったエピソードはないです。
成績も普通、友達関係も普通、いじめもいじめられもなし、部活は帰宅部、
いたって普通の毎日をすごしていました。
本はよく読んでいました。
ジャンルはなんでも。
母が本好きでいろんな本がたくさんあったので、家が図書館でした。
星新一から太宰治、レイモンド・カーヴァー、オー・ヘンリー、村上春樹、物理学とか自然学の本まで。
この作者が好き!というよりも、文体の好みで本を選びます。
社会に出てから(2003年〜2005年)
高校卒業後は小さな会社で働きます。
机ひとつの個室を与えられて、営業活動をしていました。
個室といっても低い壁で区切られているだけなので、前後の人とは普通に会話ができます。
みなさんいい人ばかりでしたが、あるときふと気がつきます。
”この会社、少しおかしい。”
ネット広告の会社でしたが、あきらかに営業の売上があがっていないのです。
上司になにげなく聞いてみると、ここはグループ会社のひとつで赤字になっていてもいいんだとの事。
法人税の節税になるからとの説明でした。
納得しないわたしは、自分の会社をネット検索してみました。
いまでいうエゴサーチですね。
小さな会社なので、なかなかヒットしませんでしたが、社長名で検索するとヒットしました。
その社長はその世界では名を知られたひとで、いわゆる会社乗っ取り屋でした。
経営が弱い会社を狙って安く買い取り、さんざん融資を受けて資金を別の会社に移して計画倒産するといった手口のようでした。
そのほか、上場詐欺未遂事件で裁判になったこともあったようです。
3億円ほどの被害だったそうですが、1億円ほど投資者に返して示談になったようでした。
残りの2億円は社長のマネージメント会社に残っているといわれています。
もっとも、某掲示板の書き込みなので真偽はわかりません。
でも、信憑性は感じました。
思えばこの会社の面接のときに、未公開株とかIPOに興味はあるかと質問されたような気がしました。
先輩に聞いてみると、そのことは知っていました。
「おそらくこの会社も、来年あたり倒産しそう。もう融資を受けられなくなってきていて、来月あたりから給料未払いの噂もある」
びっくりしたわたしは「えっ!知ってたの!早く言ってよ!」
先輩もびっくりして「えっ!知らなかったの?ぼくは上司に相談してるよ」
会社内ではほとんどの人が知っていたようでした。
その後、先輩といっしょに上司に相談にいきました。
上司は当然知っていたのですが、箝口令がしかれていて何も言えなかったようです。
それでも、先輩とわたしを心配してくれてアドバイスをくれました。
倒産する前に退職したほうがいい。倒産してからだとなにかと面倒になる。
詳しくは聞きませんでしたが、想像はできます。
次の就職先は決まっていませんでしたが、一週間後に辞表を出しました。
しばらくは、なにもせずフラフラしていました。
ネイルサロンでネット販売(2006年〜2011年)
知り合いで新しくネイルサロンを始めたから手伝わないかと誘われました。
プラモデルをやっていたので手先は器用です。
ところがいざやってみると、ぜんぜんできません。デザインも色の配置もダメダメ。
店長からは
「見込みがあれば、スクールに通ってもらうことも考えていたけど、このセンスではちょっと無理ね~」
と笑われました。
「パソコンができるなら、経理とかブログとかやってくれない」ということで、雇ってもらいました。
しばらくは事務仕事をしていましたが、あるときひらめきました!
ビーズやガラス玉など材料があったので、試しにスマホケースに貼り付けて店頭にかざりました。
これが話題になって、少しづつ売れるようになったのです。
事務仕事はそっちのけで、スマホケースづくりに没頭します。
あまりわたしが、事務をほっておくので、代わりのバイトを雇うほどでした。
量産する方法も覚えて、ネット販売までするようになりました。
このときに、ネット販売の知識を寝る間を惜しんで勉強しました。
思えばこの時が、いちばん楽しかったな。
店長は姉貴肌でサバサバしたひと。
お客様もお姉さんタイプのひとばかりで、わたしはよく可愛がられました。
学校の放課後みたいな、ほんわかした雰囲気のネイルサロンでした。
突然の出来事。そして時間の感覚をなくす(2011年)
そんな楽しい職場でしたが、突然終わりを迎えます。
東日本大震災です。
店長のだんなさんが、出張の宮城県で帰らぬ人となりました。
昨日までいっしょにいた人が、今日はもういない。
昨日までサバサバちゃきちゃきだった店長は、この日からがらりと人が変わってしまいました。
店長の実家が福島県で両親も少し怪我をしたので、実家にかえることになりました。
「しばらく店を閉じるけど、かならず戻ってくるから」と消え入るような声の電話は、いまでも耳に残っています。
結果的には、店長は自分で自分の運命を絶ってしまいました。
”かならず戻ってくるから”
希望の言葉は悲しみに変わりました。
その言葉は、わたしには、悲しみというより絶望に近いものでした。
いまでも、そのフレーズを耳にするたび、がけから落とされるような感覚がします。
大災害は店長の愛する人を奪い、わたしから店長を奪いました。
自分ではどうにもできないことが連鎖して、悲しみまで連鎖しまうことの理不尽さを思い知らせれました。
どうして、この世はつらいことばかり連鎖するんだろう?
神様も仏様もいない
こんな理不尽な世界はおかしい
答えのない問題はいつも頭の中をかけめぐります。
さらに悪いことが連鎖します。
わたしの妹が突然倒れました。
卵巣ガンでした。
ステージ1でしたが、転移と癒着があるかもしれないとのこと。
緊急で摘出手術をしました。
術後3ヶ月ほど抗がん剤を服用し、退院します。
見た目には健康を取り戻していました。
しかし、再発しました。
再入院して、抗がん剤の種類が増えていきます。
強い抗がん剤は副作用も強くなります。
わたしは仕事もなくなったので、妹のだんなさんと交代で病院に詰めていました。
日に日に弱っていく妹を見守ることしかできない。
妹の戦いは壮絶でした。
ごめんなさい。
これ以上書くことができません。
記憶がすっぽりとないんです。
2011年3月11日から12月31日までなにもなかったような気がします。
当時の時間の感覚が全くありません。
空間はよく覚えています。
その空間もほんとに実在していたか。
記憶を呼び起こすのを脳が拒否しているんだと思います。
自営業を始める(2012年から現在)
2012年1月1日はよく覚えています。
2012年から自営業をはじめると決意した日です。
虚無感から何もする気は起きませんでした。
同時に何かをしなければとも思い始め、その思いは急に強くなってきたのです。
冷え切った自分のなかから、熱いものがこみ上げてきました。
ネット販売の知識はあったので、Amazon出品を始めました。
書籍やネットから情報を得て、まずはそのとおりにやってみました。
最初は順調でした。
ライバルもいなくて、空いてるジャンルがたくさんあったのです。
とくに、利益の出そうな商品をとにかく仕入れて、売れそうなところに出すだけで飛ぶように売れていきました。
特に当時ちょっとブームになったガラス瓶の売上が大きかったです。
ところが、だんだんと売上が落ちてきます。
あたりまえですが、売れているジャンルにはどんどんライバルが参入してきます。
どう考えても赤字になる価格でせめてきます。
こうなるとチキンレースです。
薄利多売の商品だったので、発送の手間と労力に疲れてしまいました。
次に、いろいろとネット事業を始めます。
アフィリエイト、ヤフオク、メルカリなど。
ネット販売と違ってなかなかうまくいきません。
情報商材も次々に買っては放置で、経済状態はカツカツの状態に。
給料が入ったら情報商材を買い込み実行に移さないまま時が過ぎていきました。
気がつくと預金通帳がマイナスになってしまいました。
このままでは食べていけないと真剣に思いはじめ、2016年の2月ごろから、いままでインプットした情報を整理して、新しいオリジナルの手法に取り組みました。
2016年の奇跡
2016年の3月から本格的にネットビジネスをはじめました。ほぼ報酬がなかったのですが、徐々にアクセスが増えてきました。
少し手応えのようなものを感じはじめましたが、年度末年度初めの忙しさで、またも放置状態に。
そして、2016年の4月の中頃からまた集中して取り組んだところ、なんと53万円の報酬があがったのです。
実質2週間、14日間の奇跡です。
実際はそれまでの積み重ねがあったからだと思うのですが、いままで何をしてもうまくいかなかったことが嘘のようでした。
2017年の奇跡
なんとか2016年をやり過ごして、2017年からネットビジネスのブログを始めます。
なれないWordPressに苦労しながら、ぼちぼち記事を更新していました。
5月のある日、スマホの楽天銀行アプリからお知らせが。
開いてみると、1,064,910円が入金されています。
toto miniBIGで1等が当選していました。
しばらくは、口があいていたと思います。
その後も、予期しない報酬が突然入ってきたり、自分の努力以外のところからお金が入りはじめました。
これはいったいどういうことだろう?
金運が急によくなっている?
これが、わたしが金運を研究するきっかけになりました。
本や書籍、ネットで検索しまくりました。
結論というほどのものではありませんが、これをまとめてみたいと思うようになりました。
わたしがこれまで考えてきたこと、実践してきたことを伝えるべきと思ったのです。
みなさんにシェアしてみたくなったのです。
もちろん、あなたが、わたしと同じようにやっても、宝くじがすぐに当たるとは言えません。
でも、シェアせずにはいられません。
金運は周囲に分ければ分けるほど、大きくなって自分に帰ってくると思います。
そしたら、またシェアし続けます。
川の流れは人生のようなもの
幼いころに家族と行った渓流を思い出す。
秩父の山奥に家族でドライブをして、渓流を眺めている。
単純な疑問が頭に浮かぶ。
この水はどこから流れてきてどこへ行くのだろう?
山奥。
人知れずに湧き水が生まれて、流れをつくりだす。
どこに向かうか水は知らない。
ただ、自然に従うように高いところから低い方へと身を委ねる。
途中、他の水の流れと合流する。
他の水の流れは自分にないものを持っている。
その流れを吸収して栄養分を蓄え、昆虫や魚を育む。
昆虫や魚は、ほかの動物たちを繁栄させる。
ときには、岩場にぶつかり激しい流れに自分自身が翻弄される。
ときには、冷たく悲しい雨が川面にたたきつける。
ときには、行き場のない流れが淀みをつくる。
ときには、温かい木漏れ日のなかで小鳥たちの歌を聴く。
ときには、落ち葉を大量に流して、下流の土地に栄養を届ける。
ときには、高いところから飛び降りなければならない。
ときには、曲がりくねって遠回りをする。
ときには、広々としたゆったりと落ち着いた流れになる。
ときには、釣り人や川辺で遊ぶ人たちの憩いの場になる。
さまざまに表情を変えながら、水は流れていく。
生まれたばかりの弱々しい湧き水は、経験を重ねてだんだんと強い流れになっていく。
成長し、成熟し、周囲に繁栄をもたらし、その役割を果たす。
そして、大海へと身を投じる。
大海はすべての水が集まる場所。
昔の仲間、先輩、親、ご先祖様、その他世界中の水と交わり、しばらく平穏の時を過ごす。
やがて太陽の熱が大海の水を蒸発させ、天空高く舞い上がらせる。
水は魂になる。
目に見えない魂は、水滴となり雨粒となり地表に降り注ぐ。
地中で湧き水となることを夢見ながら、母なる大地でその時を待つ。
そしてまた、一握りの湧き水が生まれてくる。
そして・・・
忘れてはならないのは、
突然の大災害で、圧倒的な水の塊が行き場を失い、ゆっくり流れるはずの水が一気に流れ去ってしまうこと。
ありえないスピードで大海へと押し流されてしまうこと。
あるべき姿が突然なくなってしまうこと。
大木を、橋を、道路を、家を、巻き込みながら一気に流れ去っていく。
繁栄と憩いの場でもあった川の流れは、周囲の感情は無視して目の前から流れていく。
無情だ。
傍らのものはそれをただ見守るしかない。
ただそれを受け入れるしかない。
思考が止まる。
ごうごうと流れ去る、水の暴力的な圧迫感を目の前に。
そのとき、時間は止まる。
なぜか時は止まる。
水が流れるためには、時間の流れが必要なはずなのに。
川の流れは人生そのもの。
この水はどこから流れてきてどこへ行くのだろう。
幼いころの疑問は、いまでは理解できる。
でもわたしは、これからのわたしは、どこへ行くのだろう。
あなたも最初は3,000グラムの湧き水だったのではないですか?
あなたは、いままで、どんな流れの中だったでしょうか?
どんな経験をしてきましたか?
ときには、ぶつかって激しい怒りに翻弄され、悲しく冷たい雨が降り注ぎ、行き場のないところで淀んでいたりしませんでしたか。
あなたは水という無機質な物体ではありません。
意思を持っています。
強力な意思は、自分の体だけでなく他人を、社会を、世界をも動かすことができます。
自分の意思を持たずに、ただ流れに身を委ねていると悪い方へも流れていきます。
自分にとって、いい方向へ流れを変えるには、強い意思が必要です。
金運をあげるということは、生き方を上げることなんじゃないかなと思うようになりました。
『生き方を上げれば、自然に金運が上がるんじゃないのかな。』
そんなふうに考えてから、自分にとって必要と思われることをいろいろと実践してきました。
だから、事業がうまくいったり、宝くじが当たったのかなといえば、そうではないと思います。
何かを信じること。
感謝の気持ち。
健康な体。
そして、整えられた心。
これらがあれば、意思を強く持つことができます。
強い意志は、さらに強い行動につながります。
強い行動は、いい方向へと流れを変えることができます。
これが金運なのではないかと、いまでは思います。
引き寄せの法則や、占いや、運命を信じるのはいいことです。
それが自分自身の信念になって、強い意志が生まれればいいのです。
強い意思を保つ方法はたくさんあります。
宗教、紙に書いて壁に張る、宇宙の法則、おまじない、健康を保つ、トイレ掃除、なんでもいいです。
自分にあったものを自由に選ぶことができます。
ただし、どんなにいい方法でも、ほんの少し疑うだけで効果がなくなります。
自分でブレーキをかけてしまうんです。
アクセルを踏みながら、同時にブレーキをかけてしまう。
エンジンにもブレーキにも負担がかかり、やがて壊れてしまいます。
信じる力は、とても強いものですが、また脆いものでもあります。
疑いの力は、弱くても、じわじわと広がって蝕んでいきます。
疑うことは、生き方を下げます。
信じることは、生き方を上げてくれます。
生き方を上げれば、金運は上がります。
最後に
私はこれまで数多く失敗や間違いをしてきました。
あなたは、もしかしたら同じ境遇ではありませんか?
”どこかでかけ違えてきて、気がつけばひとつ余ったボタン、
同じようにして誰かが持て余したボタンホールに、
出会うことで意味ができたならいい・・・”Mr.Children くるみ
ずっと私はボタンをかけ違えてきました。
もしかしたら、このブログをきっかけにして、あなたのボタンホールに出会えたのかもしれません。
『このブログがあなたのお役に少しでもなれたら』という思いでいます。
最後になりましたが、あなたと出会えたことに感謝します。
そして、あなたの成功を心からお祈りいたします。